日本のムギ類のルーツを求めて Ⅱ
~タジキスタン山岳部での麦類野外調査 ~
佐藤 和広
岡山大学 資源植物科学研究所 大麦・野生植物資源研究センター 教授
ムギ類は中東において、約1万年前に祖先型の野生植物から起源したとされている。私たちは、起源地から日本までのルートに、自生あるいは栽培されているムギ類を野外調査している。岡山大学を中心とするムギ類の調査研究グループは、カスピ海西側のコーカサス地方から調査を始め、ウズベキスタンを経て、この度はヒマラヤ山地の西端の辺境タジキスタンを訪れた。このような中央アジア地域での調査は、シルクロードに沿ったムギ類の伝播を意識する必要がある。今回のタジキスタン山岳部の調査においては、これまで訪問した中央アジア中部以西の地域には、認められなかった、東アジアのムギ類の特徴を示す個体を、初めて確認したことが強く印象に残った。
タジキスタンはヒマラヤ山脈の西端に位置し、南にアフガニスタン、西にウズベキスタン、北にキルギスタン、東は中国に接する山国である。タジキスタンは民族および文化の面から、アフガニスタンおよびイランの影響を強く受けているが、ソビエト時代は中央アジア最南端の領土であった。また、1990年代の内戦の影響で、中央アジアでも最も貧しい国とされている。国土の50%以上は3,000mを超える山岳地帯で、国土の南半分はパミール高原と呼ばれ、民族的、文化的にも他の地域とは異なっている。比較的大規模な農耕が可能な地域は、北部のフェルガナ盆地周辺の低地と、南部のアムダリヤ川支流周辺である。 |
この地域は、中近東を起源とするムギ類の野生種が分布する地域としては東端に位置しており、さらに、中国やヒマラヤ山地周辺の栽培ムギ類の多様性の分布域の西端にあたることからも、ムギ類の多様性を研究する者にとっては憧れの地域である。
日本から2名、ロシアバビロフ研究所から2名、国内の研究者2名、および運転手からなる調査隊は、日本の3分の1強の国土の南部、パミール高原を中心に、車で8月10日~8月23日の14日間、収集活動を行った。収集地点は、標高818mから3,417mの57カ所であった。約118サンプルのオオムギおよびコムギの栽培種および近縁植物を収集した。
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野生種の分布は少なく、おもに在来種の収集を試みたが、アガ・ハーンとよばれるイスラム教のリーダーが率いるイスマーイール派が、農産種子を配布する事業を行っており、穀物種子、特にコムギの種子の移動はかなり頻繁に行われている。比較的条件の良いコムギの圃場では、この事業による改良品種が多く栽培されていた。一方で、条件の悪い山岳地域では、在来的なコムギ品種が栽培されていた。これらのコムギの中には、穂や芒の形態が中国に分布するコムギと類似しており、葉舌のない珍しい変異が在来種として栽培されていた。一方、オオムギはほとんどが六条であり、中央アジア地域の収集において初めて裸性が認められ、ヒマラヤ周辺の特徴を強く示した。裸性には、ロシアの研究者が緑色と表現する着色した粒と通常の粒があるものの、チベットおよびネパール地域に特徴的な芒の形態、穂の形態および着色の多様な変異は認められなかった。この原因を現地の農業技術者に尋ねたところ、1950年代にソビエトが、在来種から優良な系統を選抜して配付した2系統が、これらの2種類のオオムギの由来である可能性が高いとみられた。従って、残念ながら栽培オオムギの多様性は、既に大部分が失われた可能性が高い。
アフガニスタン南部に向かう河川沿いの道路は、アフガニスタンと国境を接しており、見上げるような岩壁を持つ山々に囲まれていた。治安で不安を感じることはほとんどなく、地元の人々は皆親切にもてなしてくれた。ただし、農業技術のレベルはかなり低く、現地における農業教育の必要性を強く感じた。 |
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(左)農家でもらったオオムギ,
(右)コムギの種子 |
パミールの女性家族
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